えんどう豆太郎

読んだお前が悪いんだろ精神で書いてます。

増えすぎた、ハンドルネームを考える。

Twitterは『しょう』で、Instagramは『遠藤』で、Noteは『えんどう』。他にも3DSMiiは『ロールパン』で、PS Vitaに登録したのは『ぶたさん』、高校の頃に描いていた絵本の作者名には『まめたろう』。他にもたくさんあった気がするが、忘れた。

 

自分の本名の他に、ボクには『ハンドルネーム』がいくつかある。こうして振り返ると、今日まで変わらず名乗り続けてるものはないことに気づく。

 

増えすぎた、ハンドルネームを考える。

時代や媒体ごとに、チョコチョコ変えてるのは節操がないなと。改めて。

 

単純に飽きっぽいことが1番のワケっぽいが、こう無闇やたらに新たなハンドルネームを名乗ってしまう背景としては「名前ごとに違った自分を見せたい」という意識がある・・のではないかと思う。

 

例えばInstagramで載せるのはリアルな自分の生活にしたいので本名に近い『遠藤』で、家族や友達に見られたくないことを呟いてるTwitterはちょっとボカした『しょう』、ゲームアカウントについては完全に現実から切り離したいので『ロールパン』『豚さん』

 

増えすぎたアカウントを整理してると、そんな法則が見えてきた・・ように感じる。親が子に名をつけるのと同じように、僕も自分の名前に”そう在りたい願い”みたいのを込めていたのではないだろうか。

 

名前の数だけ自分は存在している。どれも”自分”であることに違いはないが、”名前”ごとに違った自分になっているのである。

 

”1億変身時代”を生きている

SNSのアカウントを複数個もつのがアタリマエになった世の中では、みんなそうなのだと思う。Instagramではキラキラとした写真を投稿する割に、 Twitterでは陰鬱な言葉を書き連ねている。うん、今や別に不自然なことじゃない。

 

なんとなくSNSごとに求められる”自分”があって、それぞれの”自分”を分離させながら、その全てを”自分”として生きている。『ハンドルネーム』の数だけ、”自分”を生きている。

 

この流れは加速して、世の中どんどんパラレルになっていくんだろうな。SNSサービスは衰退することなく増え続けているし、Club house、Be Real、mixi2、みんな大忙しだ。

 

それに実利の面でも同じだそうで、これからは働き手が減少する。すると、どうしたって1人が複数の役割を求められるようになるらしいのだ。異なる自分に、秒で変身してる。そんな時代だ。

 

見せれてない”自分”を見せたくなる

ここから話をぐわんと進めたい。もはやSNSアカウントもハンドルネームも複数個持つのがアタリマエになった時代で、潜在的にみんな求めてるんじゃないか・・と思うのだ。

 

まだ見せれてない”自分”を見せたいのでは、と。例えば、いまバズってる『Be Real』はこれまでにないSNSだった。ユーザーが指定できないタイミングで、目の前の写真を撮って、投稿しなければいけないのだ。ゆえに大学の講義中にアラートが来た場合は、みんな一斉に教授の写真を撮っている・・なんてことも起きている。

 

これ、やってない人にとっては「なんの罰ゲーム?」って感じだろう。

 

でもBe Realのおかげで、Instagramとは全く異なる投稿をできるようになった。”盛ってない自分”を見せることができるのである。これまで家でゴロゴロしてるところや、電車で通学中の場面なんて発信することはなかった。

 

もちろんBe Realですら、それは日常の中で見せたい場面を切り取ったものに過ぎない。たとえ通知が鳴ったって、おトイレ中は撮影しないわけだ。(※どんなものでも人に見せる以上、それは表現物)

 

Be Realのおかげで、日常的な自分すら見せられるようになった。このバズ現象のウラには、もっともっと発信できてない自分を見せたいという人々の欲求不満があると思うのだ。もはや同じような機能ではTwitterInstagramも代替不可能だと思う。

 

しかし、この切り口を変えたSNSってのは今後も登場してくるだろうな。

 

今度はハンドルネームを、統合する

そして、再びボクの話に戻させていただく。この時代の波に乗るなら、ボクもハンドルネームを増やし続けていくことになるだろう。・・個人的には、もはやソレに疲れを覚えてしまってる。

 

正直ともだちのストーリズは見ていて退屈だし、「今の場面SNSであげなきゃ」と常に迫られるのも体力的にしんどい。これ以上なにか新しいものを始めても、なんだか時間だけ消費してる感覚になる。

 

とはいえ、『脱・ハンドルネーム』をして、このSNS時代と無関係に生きていけそうにもない。どこかで折り合いをつける意味でも、ボクは時代の流れに逆行してSNSを統合していこうと思うのだ。必要なものに洗練させていく。

 

一瞬だけハヤったThreadsのアカウントはもう消そう、Twitterもアカウントごとに役割分担をキチンとするためにフォロワーから整理したい。あと、なんでnoteのアカウントは2つ作っちゃったんだろうな。ややこしい。

 

こんな作業を意識的にやりながら、SNSとの折り合いをつけていこう。よし、そうしよう。

 

はてなブログの役割

・・そう決めた矢先に、はてなブログを始めた。新たに「えんどう豆太郎」を名乗り始めた。どうだろう、ボクのことを言動が一致しないサイコパスだと思って、読み続けていたでしょうか・・?

 

言い訳をすると、これも自分としては”洗練”のひとつだ。今までこういった”考えながら自分の思考をカタチにする場”というのは、SNS上では持ち合わせていなかった。

 

noteはフォロワーがいる分、もっとキチンとした形で文章にしたものを読んでほしいし、こうした発信は”自己満足系”と見なされることが多い・・気がする。(※どんなものでも人に見せる以上、それは自己満足)

 

そこで自分がふと考えてしまう雑念ともいえるような思考をドロのように塗りたぐりつけて、なんとか文章としてカタチにすることで、頭の中を排泄してあげる場を用意することにした。

 

それが、この「はてなブログ」だ。

 

noteは人が飲めるように薄められたカルピスみたいなもので、こっちは原液丸出し。そこまで読み手のことも考えずに、自己満と言われようが上等で、読んだお前が悪いんだろ精神で書いていきたい。

 

そんな場にちょうどいいサービスと思う。ありがとう、はてなブログさん。

 

えんどう豆太郎、はじめます。

ということで、そろそろモーニングコーヒーを飲み尽くしてしまうので文章を綴じたいと思う。現在のとっ散らかった『ハンドルネーム』を統合していくと、「えんどう豆太郎」という名前にちょうど良さを感じた。ひとつよしなに宜しくおねがいします。

 

さてSNSはリンクツリーで整理していきたいな、不要なものはなんでも捨ててしまおう、なんたって年末だ。

 

ちょこちょこ変わる新たなる”自分”と共に、年を越したい。